企業の帰宅困難者対策|3日分の備蓄と見落とされがちなプライバシー確保

企業の帰宅困難者対策と聞くと、水と食料の備蓄を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。東日本大震災では首都圏で約515万人が帰宅困難となり、内閣府の推計では首都直下地震で1都4県約695万人の帰宅困難者が想定されています。従業員を無理に帰さず、オフィスや工場に3日間とどめる。これが帰宅困難者対策の基本です。

ただ、備蓄リストの先にある問題はあまり語られていません。従業員はその3日間、どこで眠り、どこで着替え、どこで休むのか。

監修者

株式会社LIFULL ArchiTech 取締役COO
名古屋工業大学 共同研究員
山中典(やまなか つかさ)

この記事では、条例と内閣府ガイドラインが企業に求める帰宅困難者対策の要点を整理したうえで、見落とされがちな休息・着替え・就寝のプライベート空間の確保方法を、総務・BCP担当者向けに解説します。
目次

帰宅困難者対策で企業に求められていること

発災後は原則3日間、安全な場所で待機(一斉帰宅抑制と施設内待機)

大規模地震の発生後72時間は、救命・救助活動などにとって特に重要な時間です。この間に多くの人が一斉に帰宅を始めると、道路の混雑によって緊急車両の通行を妨げるほか、移動する人自身が二次災害に巻き込まれるおそれがあります。そのため、国は「むやみに移動を開始しない」という一斉帰宅抑制を基本とし、帰宅困難者には原則3日間、安全な場所で待機することを求めています。

企業では、建物や周辺の安全を確認したうえで、従業員等が施設内で待機できるよう備えることが重要です。施設内の安全を確保できない場合は、別の安全な場所へ避難・誘導します。帰宅を開始する際も、行政や交通機関などの情報を確認し、時間帯や方面を分散させる対応が必要です。

東日本大震災では、首都圏で約515万人の帰宅困難者が発生したと推計されています(内閣府推計)。また、東京都の発表によると、2011年3月12日午前4時現在、約9万4,000人が都の関係施設や都立学校、区市町の一時受け入れ施設を利用していました。こうした経験を踏まえ、企業における施設内待機や備蓄、一時滞在施設の確保などの対策が進められています。

参照元:内閣府「災害発生時における大規模な帰宅困難者等の発生への対策に関するガイドライン」本文1ページ

東京都条例が定める3日分の備蓄(水9L・主食9食・毛布1枚)

東京都は平成25年4月に東京都帰宅困難者対策条例を施行し、事業者に対して従業員の施設内待機と、それを維持するための3日分の飲料水・食糧その他必要な物資の備蓄を努力義務として定めました。備蓄の目安は次のとおりです。

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品目1人あたりの目安(3日分)
飲料水9リットル(1日3リットル)
主食9食(1日3食。アルファ化米、クラッカーなど)
毛布1枚
その他簡易トイレ、衛生用品、敷物、携帯ラジオ、救急医療薬品類など

首都圏以外でも、関西広域連合のガイドラインなど同様の枠組みが整備されており、3日分の備蓄は全国的な目安になっています。

努力義務でも対策が必要な理由(安全配慮とBCPの初動要員確保)

条例の備蓄は努力義務であり、罰則はありません。それでも対策が必要な理由は2つあります。ひとつは、企業には従業員の生命と安全に配慮する責任があり、発災時に従業員を危険な帰宅行動に向かわせない体制が求められること。もうひとつは、事業の早期復旧という企業自身の利益です。

施設内にとどまった従業員は、そのままBCP(事業継続計画)の初動要員になります。安否確認、被害点検、復旧作業、取引先対応。3日間の待機環境は、福利厚生ではなく事業を止めないための投資と考えるのが実態に合っています。なお、国土交通白書によれば、条例制定当時に3日分以上の物資を備蓄していた企業は40%前後にとどまっていました。

参照元:内閣府「帰宅困難者等対策に係るこれまでの取組と今後の検討の方向性について」(令和3年11月)東京都「帰宅困難者対策ハンドブック」武蔵野市「災害時に帰宅困難者になることを想定する」国土交通省「平成24年版国土交通白書」

見落とされがちな「3日間をどう過ごすか」という問題

毛布1枚で執務室の床に寝る想定になっていないか

備蓄リストを見直すと、就寝環境に関する備えは「毛布1枚と敷物」だけという企業が少なくありません。これは、執務室やロビーの床にそのまま寝る想定を意味します。硬い床、消えない照明、同僚の物音と視線。自宅とはまったく違う環境で、しかも余震への緊張が続く中での3晩です。

1晩であれば耐えられても、待機は最大3日間続きます。睡眠の質が落ちれば、日中の判断力も体調も確実に削られていきます。

着替え・仮眠・女性への配慮。オフィスにない3つの空間

オフィスや工場は、日中の業務のために設計されています。そこで数日間生活するとなると、普段は意識されない3つの空間が欠けていることに気づきます。人目を避けて着替える場所、横になって仮眠できる場所、そして授乳や体調不良時に一人になれる場所です。

とくに男女が同じフロアで雑魚寝する状況は、着替えや就寝時の不安に直結します。更衣室があっても数人分の広さしかない事業所が大半で、従業員全員の生活空間としては機能しません。

避難所では「開設時から個室・ベッド」が標準になりつつある

比較対象として避難所を見ると、環境整備は一歩先に進んでいます。内閣府は令和6年12月に改定した取組指針で、パーティションや段ボールベッドを避難所の開設時に設置することを明記し、令和7年1月の通知では1人当たり最低3.5㎡の生活スペース確保を都道府県に求めました。

雑魚寝と直床が健康リスクだという認識は、避難所行政ではすでに前提になっています。一方、企業の施設内待機にはこうした空間の基準がなく、「毛布1枚の避難所」と同じ環境が、対策済みの企業にも残っているのが現状です。

参照元:内閣府「避難生活における良好な生活環境の確保に向けた取組指針(令和6年12月改定)」内閣府「今後の避難所の確保等について(令和7年1月23日通知)」

直床・雑魚寝が体調と復旧業務に与える影響

災害関連死事例集が示す環境ストレスの怖さ

内閣府の「災害関連死事例集」は、避難生活の環境が命に関わった認定事例を分析しています。そこで挙げられている要因は、直床での生活による心身への負担、慣れない集団生活と周囲への気兼ねによるストレス、プライベート空間の確保困難、空調不足による高温・低温下での生活です。

これらは避難所に固有の問題ではなく、環境の条件がそろえばオフィスでも同じことが起きます。とくに持病のある従業員や高齢の従業員にとって、床での雑魚寝と緊張の連続は、想像以上の負荷になるとされています。

眠れない初動要員は3日目に動けなくなる

施設内待機は、単に従業員を留め置く時間ではありません。安否確認、設備点検、復旧作業、顧客対応と、BCPの初動そのものが進む時間です。初動要員が2晩眠れなければ、3日目の作業効率と判断の質は大きく落ちます。

交代で仮眠を取れる静かな個室があるかどうかは、復旧のスピードを左右する経営課題です。災害対応の現場では「休める者から休ませる」が原則とされますが、横になれる場所がなければこの原則は実行できません。

感染症と体調不良者の隔離スペース

能登半島地震の避難所では、過密状態の中で新型コロナウイルスの集団感染が発生し、隔離スペースの確保に追われた事例が内閣府の調査報告に記録されています。数十人から数百人が同じ空間で3日間過ごすオフィスでも、発熱者が出た場合に隔離できる個室がなければ、待機している全員に感染が広がりかねません。

体調不良者の隔離、けが人の応急処置、心身が不安定になった従業員のクールダウン。区切られた空間は、衛生管理と労務管理の両面で必要になります。

参照元:内閣府「災害関連死事例集(令和5年5月増補版)」内閣府「令和6年能登半島地震における避難所運営実態調査報告」

オフィス・工場で従業員のプライベート空間を確保する方法

帰宅困難者の待機環境でプライベート空間をつくる方法は、大きく3つあります。既存の部屋を転用する、屋内に個室を置く、敷地内に個室を増設する、の3段階です。

会議室・更衣室の転用と限界

最初に検討すべきは、いまある部屋の転用です。会議室を仮眠室に、応接室を女性専用スペースに、といった割り当てを事前に決めてBCPに書き込んでおくだけで、発災時の混乱は大きく減ります。費用もかかりません。

部屋の数に限りがある点は考慮が必要です。従業員が数十人を超えると、会議室だけでは仮眠の交代すら回せません。ガラス張りの会議室は視線を遮れず、工場ではそもそも転用できる個室が少ないという事情もあります。

屋内に置く個室(パーテーション・テント・段ボール個室)

次の段階が、執務フロアや食堂、倉庫スペースに個室ユニットを設置する方法です。選択肢は避難所と共通で、段ボールパーテーション、ポップアップ式の屋内用テント、天井付きの段ボール個室の3種類があります。仕切るだけならパーテーション、着替えや授乳にはテント、就寝と隔離まで担わせるなら天井と壁で覆う段ボール個室が向いています。

いずれも折りたたんで備蓄でき、水や食料と同じ倉庫に保管できます。備蓄品リストに「空間」の行を1つ追加する感覚で導入できるのが屋内型の利点です。

敷地内に増設する個室(駐車場・空き地への屋外設置型)

3つ目が、駐車場や敷地の空きスペースに断熱構造の個室を設置し、建物の外に生活空間を増設する方法です。屋内が業務と復旧作業で埋まっていても、就寝や休息を外の個室に逃がせます。建物に被害が出て屋内で過ごせない場合の代替空間としても機能します。

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比較項目既存の部屋の転用屋内に置く個室敷地内に増設する個室
費用かからないユニット数に応じる棟数に応じる(平時転用で回収可)
収容の上限部屋数まで床面積の空きまで敷地の空きまで
準備割り当ての事前決定備蓄倉庫に平積み保管平時から設置または発災後搬入
主な用途仮眠・女性専用スペース着替え・仮眠・隔離就寝・休憩・建物被災時の代替
向く事業所会議室が多いオフィスフロアや食堂が広い事業所駐車場・空き地のある工場など

実際には、この3つを組み合わせるのが基本です。転用計画を先に固め、足りない分を屋内個室で補い、敷地に余裕があれば屋外型で待機環境全体の容量を増やす、という順番が現実的です。

インスタントルームとインスタントハウスの帰宅困難者対策での使い方

屋内個室と屋外設置型の具体例として、LIFULL ArchiTechの2つの製品を帰宅困難者対策の視点で紹介します。

執務フロアに15分で個室をつくるインスタントルーム

インスタントルームは、段ボールの多層構造で壁と天井をつくる屋内用の個室空間です。組立時のサイズは幅約2m×奥行約2m×高さ約2.7m(約4.00㎡)、重量約30kgで、工具を使わず大人2名・約15分で設営できます。段ボールの厚みが断熱と遮音に働くため、着替えや授乳はもちろん、照明と物音を遮った仮眠室、発熱者の隔離室として活用が可能です。

保管時は約120cm×64cm×16cmの箱2つに収まり、備蓄倉庫に平積みできます。ユニットを連結して広くしたり、汚れたパーツだけ交換したりできるため、従業員数に応じた段階的な整備がしやすい構造です。約4㎡というサイズは、内閣府通知が避難所に求める1人3.5㎡の生活スペースにほぼ相当します。

工場・事業所の敷地に「もう一部屋」をつくるインスタントハウス

インスタントハウスは、2011年の東日本大震災での被災地支援をきっかけにした名古屋工業大学大学院の北川啓介教授の研究をもとに、LIFULLと名古屋工業大学大学院による共同研究にて開発した新しい構築物です。テントシートを空気で膨らませ、内側から硬質発泡ウレタンを吹き付けるため、断熱材を360°に使用した構造となり、外気温の影響を受けにくい空間になります。

基礎工事は不要でペグやビスで固定し、設営は1棟あたり数時間(約6時間)、建築確認は原則として不要です(行政判断による)。駐車場の一角に設置すれば、夏も冬も過ごせる就寝スペースや休憩室になり、能登半島地震では医務室や支援拠点の宿泊場所として使われた実績があります。サイズを調整することも可能なため、敷地と人数にあわせて計画できる点も工場向きです。

平時は休憩室・打ち合わせスペースとして使うフェーズフリー運用

屋外設置型は、災害時専用にすると費用対効果の説明が難しくなります。平時は休憩室、集中ブース、来客用の打ち合わせスペース、断熱を活かした備蓄倉庫として使い、発災時に待機空間へ切り替えるフェーズフリー運用にすれば、投資を日常の福利厚生とオフィス環境の改善という形で回収する考え方です。

防災訓練でインスタントルームの組み立てを体験しておけば、発災時に総務担当者がいなくても従業員自身で設営が完了します。「備蓄品と一緒に空間も訓練する」ことが、計画を絵に描いた餅にしないポイントです。

帰宅困難者対策の備蓄計画に待機環境を組み込む手順

STEP
待機する人数と構成を把握する

施設内待機の対象人数を出勤想定から算出し、男女比、持病や妊娠中の従業員、夜勤体制の有無を確認する。来客や取引先が滞在する可能性も見込む。

STEP
既存の部屋の転用計画を決める

会議室・応接室・更衣室を仮眠室、女性専用スペース、隔離室に割り当て、BCPと防災マニュアルに明記する。割り当てだけでは足りない人数を数える。

STEP
不足分を個室ユニットと屋外設置型で補う

仮眠の交代人数と隔離用を優先して屋内個室の数量を決め、水・食料と同じ倉庫に保管する。敷地に余裕があれば屋外設置型を平時利用とあわせて検討する。

STEP
防災訓練で設営まで実施する

年1回の防災訓練に個室の組み立てと転用計画の動作確認を組み込み、従業員の誰でも設営できる状態を保つ。訓練後は備蓄と一緒に保管状態を点検する。

企業の帰宅困難者対策に関するよくある質問

帰宅困難者とはどのような人を指しますか?

内閣府のガイドラインでは、地震発生時に外出している人のうち、自宅が遠距離にあることなどにより帰宅できない帰宅断念者と、遠距離を徒歩で帰宅する遠距離徒歩帰宅者を指すとされています。東日本大震災では首都圏で約515万人が該当しました。

帰宅困難者対策をしないと企業は罰せられますか?

東京都帰宅困難者対策条例の施設内待機と3日分の備蓄は努力義務で、罰則はありません。ただし企業には従業員の安全に配慮する責任があり、発災時の対応が問われる場面は増えています。事業の早期復旧のためにも、備蓄と待機環境の整備は実質的に必要な対策といえる状況です。

従業員1人あたり何をどれだけ備蓄すればよいですか?

東京都の目安は3日分として飲料水9リットル、主食9食、毛布1枚です。あわせて簡易トイレ、衛生用品、敷物、携帯ラジオなども目安に含まれます。この記事では、これに加えて着替え・仮眠・隔離のためのプライベート空間を「備蓄」に含めることを提案しています。

施設内待機はいつまで続きますか?

発災後72時間(最大3日間)程度が目安とされています。この期間は人命救助が優先されるため、一斉帰宅を控えることが求められます。公共交通機関の復旧状況によっては、それ以上の滞在や段階的な帰宅判断が必要になる場合もあります。

なぜ待機中のプライベート空間が必要なのですか?

内閣府の災害関連死事例集では、直床での生活、集団生活のストレス、プライベート空間の不足が体調悪化の要因として挙げられています。着替えや授乳の場所、交代で眠れる仮眠室、発熱者の隔離室は、従業員の健康とBCPの初動体制を守るために必要な空間です。

まとめ|備蓄リストに「空間」の行を追加する

この記事のポイント
  • 企業の帰宅困難者対策は、一斉帰宅抑制・施設内待機・3日分の備蓄(水9L・主食9食・毛布1枚)が基本
  • 首都直下地震では1都4県で約695万人の帰宅困難者が想定されている
  • 毛布1枚で床に寝る3日間は、従業員の健康とBCPの初動体制を削る。避難所行政ではすでに個室・ベッドの開設時設置が標準になりつつある
  • プライベート空間の確保は、既存の部屋の転用、屋内個室、敷地内への増設の3段階で計画する
  • 屋外設置型は平時の休憩室・打ち合わせスペースとして使うフェーズフリー運用で投資を回収できる

水と食料の備蓄が「生き延びるため」の対策だとすれば、待機環境の整備は「守り、動き続けるため」の対策です。備蓄リストの見直しの際は、飲料水や主食の行の下に、着替え・仮眠・隔離のための空間の行を加えてみてください。自社の事業所でどのような整備が可能か、レイアウトや従業員数に応じた相談も受け付けています。

監修者

山中典(やまなか つかさ)

株式会社LIFULL ArchiTech 取締役COO/名古屋工業大学共同研究員。インスタントハウスの開発・事業を軸に、災害支援から多様な空間活用まで幅広く展開している。

株式会社LIFULL ArchiTechは、東証プライム上場企業である株式会社LIFULLの子会社です。

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